今月の掲示板
2021年2月1日
「いつでも どこでも出来る 行(ぎょう)を一つだけ持とう」
当たり前のことなど何一つないこの世で、同じことの繰り返しの中にこそ大きな気付きが隠されています。
修行とはそういうものです。
あと、「いつでもどこでも」という条件があるのも修行です。
私は、履物を揃える事を修行としています。
これなら、いつでもどこでも出来ます。
しかし、継続の上では色々と心の浮き沈みがあるものです。
玄関できちんと並べた履物があるのは気持ちがいいものです。自分で揃えたものならなおさらです。しかし、自分の履物は真っ直ぐなのに、他の履物が散乱していればどうでしょう。むしろ散乱するのは「心」の方ではないでしょうか。
その「心」の散乱すらも自身の側面としてしっかりと受け止めた上で「行」を続ける事。これが何よりも大切です。心の散乱そのものは決して悪ではありませんので安心してください。
どのように心が整って行くかは「いつでもどこでも出来る」簡単な行を一つだけ見つけて実行してみるほかありません。
合掌