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寺の掲示板 

今月の掲示

2020年7月1日

 

「 足の裏で歩く 」

 

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 日常において、無意識に歩くということは足腰の健康を意味しています。目的地に向かう際に右を出して、左を出して。などとは考える必要はない。

ところが、

足の不自由な方に伺えば、「右をしっかり出して、体重を乗せて、左をしっかり出して、体重を乗せて」と意識しなければバランスを崩すそうです。誰かに挨拶でもされるようなら、意識が足に向かずバランスを崩しそうになったこともあるようです。

 

思えば、幼子が掴まり立ちを始める頃は尻餅をつくことも多く、その場で立つだけでもバランスが必要なことは一目瞭然です。

だからこそ「初めての一歩」に誰もが感動するのです。

 

動きに「当たり前のことなど何一つない」「慣れているだけ」

 

さて、坐禅を長時間していると足の感覚が無くなる事が多くあります。

いわゆる「足がしびれた」状態です。その足のしびれを取るために、

というよりは、血流を戻すために「 経行 きんひん 」と言われる歩きが坐禅の合間に入ります。

 

経行の作法「宝慶記」より

坐禅より起ちて歩く時は、須らく一息半趺の法を行ずべし」

「歩を移さんと欲はば、先ず右の足を移し、左の足乃ち次ぐべし」

 

簡単に申せば、吐いて〜 吸って〜 で半足進む。というものです。

 

呼吸と運足とバランスを感じながら体全体で歩きます。

少々難しい歩きになりますが、体と脳は刺激を受けていると個人的には感じています。

 

携帯を見ながら歩く。考え事をしながら歩く。いろんな歩きがある中で、

 

「歩くことに集中して歩く」ことは本来の歩くという動きそのものへの畏敬の念を抱く事なのです。

 

足裏の感覚を感じて歩く。とても大事なことだと思います。

合掌